月の風

2011年6月25日



 

 春の月は淡い桜の色に輝く。夏には太陽にも劣らない金色に光り、秋には白く穏やかに、冬は凍てつく氷のような青に染まる。本当に月が色付くわけではない。気候や湿度や大気中の二酸化炭素や窒素の密度が影響しているわけでもない。これはただ、自分のイマジネーションが豊か過ぎるからなのだ。絵美はそう考えていた。自分の周りにいるのはいつもボンクラばかりで、何を見ても決まりきった事しか言わない、感じない。人なのか猿なのか、ひょっとしたら猫や鼠とそう変わり無いのかもしれない。そんな中で自分一人は、類い稀なる想像力と創造力とを兼ね備え、他の連中とは一線を画した人間だと信じていた。
 まだ幼かった頃のこと、絵美は自分に読心術が備わっていると思い込んだ。大人にしろ同年代の級友にしろ、何をどうすれば相手が笑い喜ぶのかが、なんの理由も無く頭脳に閃いていたからだ。会話をしていて、次に相手が何を話すのか、口を開く前に察していた。直感的に人の心の奥底までが見透かせる、超能力だと信じていた。 
  次第にそれは読心術などという魔術的な代物ではなく、自分の頭が良いから、相手の先回りが出来ているのだという、もう少しだけ現実的な解釈へと変化した。彼女があと一歩でも思考を前に進めれば、それが、大抵の人には経験のある、ありふれた現象だと気付いただろう。親しい人との日常的な会話ならば、そしてよほど独善的な人でなければ、会話の流れというものを自然に掴んで、目付きや表情の変化を感じとり、無意識のうちに相手がこれから何を言うつもりなのか、おおよその見当は付くものだ。ましてやそれが理知も利害も含まずに喋る子ども相手なら、優れた頭脳も超能力も必要無い。十人並みの洞察力があれば十分だ。しかし彼女の思考はそこまでには至らなかった。至らないまま、結局、彼女は今でも自分の頭脳の明晰さを誇りに思って頼りにしている。
 カボチャ相手にいちいち対等に付き合ってやらなければならないという苦痛を模した優越感に浸る心の内にいつも必ず付きまとう冷たい風の正体に、彼女はいつまでも気付けなかった。その風が吹くたびに胸の奥は穏やかでなくなった。そんな自分に彼女は苛立ち、冷たい風を冷たい言葉に乗せて周囲に吐き出すことで胸の内の平穏を求めていた。 
 中学校の卒業文集に書くことはあらかじめテーマが決められていた。将来への抱負、中学校生活の思い出、友達へのメッセージ、これが絵美には気に食わない。小学生じゃあるまいし、どうしてわざわざボンクラ教師の決めたテーマに唯々諾々と従って自分の文才を披露してやらなければならないのだと気炎を上げて一人勝手に怒っていた。絵美は将来、自分自身が作家になると決めている。それに見合った才能を持っているのだと自覚している。そして才を振るえば道は開けるのだとうそぶいて伝家の宝刀よろしく後生大事に出し惜しみ、今まで一度も人前で自分の文才を披露したことがない。卒業文集などというくだらないもので、幼稚で青臭いテーマに縛られては自分の才能は生かせないから駄文になるのも仕方ないと言い訳じみたことを言って、適当に手を抜いたありきたりな言葉を綴った。出来上がった卒業文集を受け取って、ぱらぱらとめくるうちに後悔の念が膨れ上がって心に冷たい風が吹いた。誰に向けて送るでもない、大した記録に残るでもない、駄文を記して何の意味があるだろう。いっそのこと縦横無尽に才を振るって名文美文を書き残し、将来作家になった時に引っ張り出して、彼女の才能は中学生の頃からこの通りすばらしいものだったと多くの人から賞賛される仕掛けにしておけばよかったと、自分勝手な妄想に耽っていた。

 

 


 今日の午前に行われた中学校の卒業式で、絵美はおそらく会場でただ一人、涙も流さず感慨も抱かずにいた人間だ。少なくとも彼女自身はそう思っている。卒業生達はみんなそれぞれのお友達と一緒になって、また会おうね、高校行っても元気でね、と声を掛け合っていた。部活動では先輩だ後輩だと馴れ馴れしくて気持ち悪い連中が送別会の相談をしている。そんな中で絵美は一人、式が終わるとさっさと家に帰ってきて、途中のコンビニで買ったエクレアを食べながら机に向かい、原稿用紙を開いたまま時間が過ぎるのを待っていた。夕飯が出来たと告げる母親の声を聞いて我に返ると、白紙の原稿用紙が目の前に広がっている。机の上には、まだ何もしていなかったのに、気分転換が必要だと言い訳しながら読み始めたマンガが三冊、くしゃくしゃに丸まったエクレアの包装が一つ。まだ作品を書く雰囲気じゃない、と呟いてから彼女は夕飯を食べにリビングへ出た。夕食後はテレビを見て、風呂に入り、ヨーグルトを食べてから歯を磨き、夜のロードショーを観る。部屋に戻ると原稿用紙を見ようともせず明かりを消して、ベッドにもぐりこんでしまった。 
 やらなければならない事がこれまであった。やるべき事がたくさんあった。それより多くのやりたい事が、辺り一面に満ちていた。今日から高校の入学式の日まではずっと、やりたい事を自由にやれる。ならば、急いで今から始める必要は無い。また明日、また明日。書き始めれば出来上がる。出来上がれば認められる。認められれば自分の未来は約束される。ならばいつでも構わない。書き始めれば全てがうまくいくはずだ。けれど彼女は、また明日、また明日と、飽き足りないほど呟いて、中学校の三年間を無為のままに過ごしてしまった。書き始めれば出来上がるのか。出来上がらないかもしれないという不安がある。出来上がったら認められるか。否定されたらどうしようと怯えている。認められれば夢は叶うものなのか。次もまた認められるとは限らない。だから彼女は書き始めることが出来ないでいた。絵美が自分で明晰と呼ぶ彼女の頭脳や炯眼と自称する対の目は、決して自分自身に向けられない。そこに彼女の不幸があった。 
 その晩、絵美は自分が月になる不思議な夢を見た。夢の中には月を愛でる人々の顔が浮かんでいた。絵美がボンクラと罵った教師達だ。カボチャと思った同級生だ。誰しもが、絵美にとって都合の良い、憧れと賞賛を込めた笑顔を浮かべていた。中学校の校長が一歩前に出てこう叫ぶ。君はわが校の誇りだ、と。彼女は誇りになりたかった。自身が自分を誇るように多くの人が絵美のことを誇らしい人間であると認めて欲しかった。

 ただ自分のことを認めてくれれば、それでよかったのだ。絵美がこの場にいるのだと、誰かが見つけてくれたなら。自分のことを誰かが必要としてくれたなら、それでよかった。けれどそう感じるたびに冷たい風が心に吹いてそれまで思い浮かべていた言葉の全てを吹き消して、ただの苛立ちと理由の見えない焦燥感へと変貌させた。すると彼女は冷たい風を撒き散らし、自分の周りに風をまとって他人を誰も寄せ付けない。吐いた言葉は傲岸不遜な怪気炎。けれどその正体は単純明快な寂しさから来る不安と動揺、ただそれだけだった。
 たった一人で中学校に通い続けた三年間、使い続けた学生鞄は机の脇に投げ出したまま置いてあった。卒業文集と卒業アルバムはまだ鞄の中に入れてある。三年間の思い出などに興味は無い。開いたところで意味も無い。自分の書いた文章は手抜きの果ての駄文であって、他人の書いた文章はもともと読む価値などあるはずもなく、絵美の姿はクラスの全体集合写真と名簿順に並べられた個別写真以外に写っていない。最後の寄せ書きページには、誰もペンを入れていない。誰にもページを開いていない。見せられるわけがない。白紙のページの一番上に、みんなからのメッセージ! という文字が印刷されているだけだ。 
 夢の中では桜色に輝く月が大粒の涙を流していた。

 


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