喪われたカメラ

2011年9月27日



 
 私はあなたが命を落とし、ビルマの路傍に倒れる姿をテレビ画面の向こうに見ていた。あなたはミャンマー軍政の兵士が放った弾丸にその胸板を貫かれ、ただ一つの死骸となってビルマの路傍に捨てられていた。
 命が尽きる寸前にあなたの脳裏をよぎったものはいったい何だったのであろうか。あなたを愛した家族の顔か、故郷に残したギブソンか、それともあなたがいつも愛していたであろう世界に生きる子供たちの笑顔だろうか。
 あなたはジャーナリストであった。しかし、あなたは人間だった。あなたの死はその使命を果たさんが為の死であっただろうか、あなたが人であるが為の死であったか。
 あなたは戦地に幾度となく飛んだ。イラク、ビルマ、パレスチナ。しかしあなたがジャーナリズムの名の下にビデオカメラに収めていたのは、その地 に生きる、命ある、危ぶまれる命しかない、それでも生きる子供たちの姿であった。戦地の銃撃、僧侶の訴え、それらよりも子供の姿を多く映して記録の中にと どめていた。それでもあなたは、やはりジャーナリストの一人だった。
 タイの子供たちは病に冒され、余命幾許もないのだった。けれどあなたは笑顔を残していた。イラクの子供たちは銃撃の側に生きていた。それでもあなたは笑顔を映した。子供笑う、とてもよく笑う。死なない限り笑うかと思うほどに、笑いを忘れえぬものだ。
 あなたが最期に映していたのは、そんな子供の、命を落とす瞬間だったという。ビルマの僧侶が掲げる旗を抑え込もうと軍政権は治安部隊を繰り出した。最初の発砲で子供が死んだ、それをあなたはカメラに映した。次の発砲で撃ち抜かれたのはあなたの心臓だったという。
 あなたはジャーナリストであった。政治、思想、戦争、紛争、テロ、病気、あなたは様々な題材を元にして映像作品に残していたが、あなたの映したビデオには、大抵、子供の姿があった。
 あなたは子供を愛したであろう。その愛ゆえにあなたは命を落としたのだろう。あなたは死の寸前に、ジャーナリストではなく人間であったのかもしれない。けれど命を落とす間際にカメラを再び掲げていたのは、ジャーナリズムに生きた体に残っていた命の残留だったのか。
 ジャーナリズムが喪われつつあるようだ。この国で、そして、世界で。ジャーナリズムは真実を映すという。けれど人の手が加わる以上、真実そのま まを誰かに伝えることは不可能だ。映像、音声、文字、図式。全て人の作るものに真実はありえない。誰も行かない場所へ、誰かが行かなければならないのだと 言った、あなたが目指したジャーナリズムは何だったのか。
 あなたの葬儀が行われた日、ビルマの子供が掲げていた小さなプラカードには、HEROの四文字が記されていた。あなたは戦場において、人を殺さず英雄になり得た稀有な存在だったのか。否、否、否。古今東西、戦場に英雄は生まれない。
 あなたはジャーナリストであった。けれどあなたは薄っぺらい真実という名を求めずに、ただ泥まみれの事実一つだけをひたすら追っていたように思 う。それが人の手の限界だ。真実? 無理だ。人の手では。他人の手から真実は掴めないように、他人に真実は手渡せない。手渡せ得るものではないのだ。た だ、あなたは子供に焦点を定めていた。その土地に、不自由に、子供が生きているという、ただ一つの事実を追っていた。それはジャーナリズムのあるべき姿の 一つだったのかもしれない。
 子供は大きな声で歌う。余命幾許もない日にも、歌う時には大声だ。そして笑顔だ。あなたも歌が好きだった。大きく声を張り上げて歌うときに、人の心は自由になれる。あなたは子供たちの僅かな自由の瞬間を記録に残していた。そして子供の自由が永劫奪われる瞬間をも。
 あなたが撃たれた瞬間を記録に残したアドリース・ラティーフの写真は、翌年のピューリッツァー賞に輝いた。けれど、ミャンマー軍政の手に落ちたというあなたのカメラは、未だに戻って来ていない。

 (了)


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